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フォルミオン(希:Φορμίων、ラテン文字転記:Phormion、紀元前5世紀、生没年不明)はペロポネソス戦争初期に活躍したアテナイの将軍・提督である。 == 初期のキャリア == フォルミオンはアソピオスの子であり、同名の息子がいる。フォルミオンが最初に歴史の表舞台に現れるのはサモス戦争時の紀元前440年である。その時彼はペリクレス、ハグノンらと共に40隻の艦隊を率いる指揮官の一人としてサモス島に送られた〔トゥキュディデス, I. 117〕。 ペロポネソス戦争が始まると、紀元前432年にフォルミオンは1600人の重装歩兵と共にアテナイに反旗を翻したポティダイアの封鎖を助けるために送られた。彼はアテナイ軍がまだ封鎖していなかった南側を封鎖し、そのための築城を終えるとカルキディケとボッティケを荒らしまわり、いくつかの都市を占領した〔ibid, I. 64-65〕〔ディオドロス, XII. 36〕。 翌紀元前431年にオドリュサイの王シタルケスの仲裁でアテナイと反アテナイ陣営に与していたマケドニア王国が和解して同盟すると、フォルミオンはマケドニア王ペルディッカス2世と共にカルキディケ人と戦った〔トゥキュディデス, II. 29〕。 その後、アルゴス(ペロポネソス半島ではなくアンブラキア湾岸)をアンブラキア人によって追われ、アカルナニアに身を寄せたアンピロキア人の要請を受けたアテナイはフォルミオンを30隻の艦隊と共に同地に派遣した。フォルミオンはアルゴスを回復してやり、アテナイとアカルナニアは同盟を結んだ(紀元前430年夏)〔ibid, II. 68〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フォルミオン (将軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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